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静岡県外科医会

沿革


静岡県外科医会の発足は、昭和24年7月28日、佐藤章(周智~現在は静岡)、福地省吾(静岡)、関野一(三島)、荒木孝継(沼津)、槙正男(沼津)、清軍太郎(富士宮)、原勝利(庵原)、富永敏三郎(静岡)、谷口健康(浜松)、池谷忠義(浜松)の10名の諸氏が発起人となり、静岡県内の外科医の円満且つ強固な相互扶助等を目的として設立された。
初代会長は、故福地省吾氏、2代会長は故小坂慶一氏(磐田)、3代会長は中村武氏(静岡)、その後、平成の時代に長嶋孝昌(浜松)、土屋和弘(静岡)、令和に入り川村統勇(富士)らが会長を歴任し、令和5年から海野直樹(浜松)が会長の任を務めている。
静岡県外科医会の最も大きな事業は集談会であり、昭和24年8月14日の第1回集談会以来年4回、平成4年よりは年3回が開催されており、現在は年2回に縮小されたが、今日まで250回を超える歴史を数えている。また本会は日本臨床外科学会の静岡県支部であり、集談会の抄録はその都度、日本臨床外科医学会報誌に掲載されている。
本会の特筆すべき事業としては、昭和55年11月第42回日本臨床外科医学会総会が静岡市で開催されたことであり、この総会では福地省吾氏を総会会長として県下の全会員の総力が結集されて運営された。
また、本回を運営するにあたり、学会での協賛余剰金1,000万円を以て福地記念基金として現在も運営に役立てている。さらに、福地名誉会長が昭和61年に逝去後、ご遺族の意志により100万円がこの基金に寄贈された。
静岡県外科医会会員は全員が、静岡県民370万人の外科系医療を担っている集団であり、本会は、若い外科医の育成と学問的発表の登竜門として現在も活動を続けている。

令和7年 海野直樹 記
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